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SICFトーク  土佐信道×草野絵美

【※この対談は、2018年5月3日開催の「SICF19」で実施されたトークイベントを編集したものです。】

 

次代のクリエーターに贈る、私たちのセルフプロデュース術


いま活躍するクリエーターは自らをどのようにプロデュースし、目まぐるしく変容する世界の中をサバイブしているのでしょうか。独自の手法で活動する2名のクリエーターに、自身のプロデュース方法を伺い、クリエイションのヒントを探ります。

 

 

土佐信道(とさのぶみち)
1967年兵庫県生まれ。1992年筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。1993年にアートユニット「明和電機」を兄・正道とともに結成。同社代表取締役。青い作業服を着用し作品を「製品」、ライブを「製品デモンストレーション」と呼ぶなど、日本の高度経済成長を支えた中小企業のスタイルで活動。魚をモチーフにしたナンセンスマシーン「魚器(NAKI)シリーズ」、オリジナル楽器電動「ツクバ(TSUKUBA)シリーズ」、さまざまな声の機械「ボイスメカニクスシリーズ」など多様なナンセンスマシーンを開発。プロモーション活動は既成の芸術の枠にとらわれることなく多岐にわたり、国内だけではなくヨーロッパ、アジア、アメリカなど海外でも広く展開。展覧会やライブパフォーマンスはもちろんのこと、CDやビデオの制作、本の執筆、作品をおもちゃや電気製品に落とし込んでの大量流通など、たえず新しい方法論を模索している。
明和電機

 

草野絵美(くさのえみ)
1990年東京生まれ。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス環境情報学部卒業。2013年から歌謡エレクトロユニット 「Satellite Young」として活動を開始。再構築された80’sサウンドに、ポストインターネット世代の違和感をのせて現代社会を歌う。スウェーデン発のアニメ『Senpai Club』の主題歌提供、米国インディーレーベル「New Retro Wave」からのリリースにより、欧米を中心にファンを増やし、2017年には「South by South West」に出演を果たした。音楽活動にいたるまでは、10代はストリート・フォトグラファーとして原宿を中心に海外メディア向けに活動。大学時代はITベンチャーの起業に挑戦し、アプリ製作に携わっていた。
草野絵美
Satellite Young

 

モデレーター
冠那菜奈(アートメディエーター)
Tiarart.com

 


トーク

冠 : まず、お二人の自己紹介と活動を教えていただけますか。

 

土佐 : 明和電機代表取締役、土佐信道です。よろしくお願い致します。明和電機は今年で活動25周年になりまして、基本的にはナンセンスマシーンという役に立たないマシーンを日々作っているのですが、そればかりでは食べられませんので、それらを使って、ライブコンサートや展覧会をやったり、ナンセンスマシーンを作ったノウハウを使って、『オタマトーン』などのおもちゃを作って稼いでいます。スパイラルも懐かしくて、学生の頃からよく観にきていました。

 

 

冠 : 色々と活動されていると思いますが、その変遷を教えていただけますか。

 

土佐 : SICFと一緒なんですが、コンテストデビューなんです。1993年にソニー・ミュージックエンタテインメントが主催で「アート・アーティスト・オーディション」というアーティストの発掘・育成を目的とした実験的なコンテストをやっていたんですね。それはアート、アーティストということだから、作品だけでなく人間も見ようというもので。

 

草野 : 今あったら私も受けたいです(笑)。

 

土佐 : 当時はまだ、CDが100万枚売れていた時代だったので、ミュージシャンは音楽だけやっていればいいという風潮だったんですけど、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStationを開発し始めた頃だったので、音楽だけじゃなくて多方面に活躍できるクリエーターを発掘しようと思って始まったイベントだったんです。第2回開催だった当時、僕は筑波大学で機械をつくっていて、発表会はできたんですけど、このまま出してもだれも見てくれないと思っていて。当時の美大の成り上がりのステップとして、まず銀座で個展をやって、人を集めて、だんだん上がっていくというものだったんですけど、僕はそうじゃないなと思って。違う方法がないかと思っていた時に、とにかく手当たり次第コンテストに応募しようと思いました。その一発目がソニー・ミュージックエンタテインメントのコンテストだったんです。 その時、作品をつくる事が前半戦だとすると、それをどう見せるかが後半戦という意識がありました。そこで「電気屋だ!」って思いついたんですね。親父が着ていた制服を思い出して。日本人は制服に弱いしみたいな(笑)。当時はシミュレーショニズムとか、今は当たり前ですがグループで作品を出すっていうのが流行っていたので、兄と共に応募しました。1次審査が書類審査で、電話をかけると、魚に矢が刺さるかもしれないという機械で応募しました。2次審査が作品審査。指パッチンで木魚がポクポクなる機械を見せて、隙を与えた瞬間にお兄ちゃんが審査員全員をハリセンで殴る。最後、二人で『淋しい熱帯魚』をアカペラで歌って踊る。審査員もこれはなんなんだって、気が狂った奴らが来たって(笑)。それで通って、ソニー・ミュージックエンタテインメントと専属芸術家契約を結んだんですね。専属音楽家契約というのは、普通のミュージシャンとの契約なんですよ。そこでデビューしたのが、きっかけです。

 


写真提供 :明和電機

 

冠 : 明和電機さんは一時期、吉本興業に所属していた時もありますよね。

 

土佐 : そこから98年まで5年間ソニー・ミュージックエンタテインメントに所属していましたが、コンピュータでCDをコピーできたりして、CDがどんどん売れなくなり、所属先がなくなってどうしようと思った時、当時のマネージャーだった方が明和電機の土佐はもったいないからって言って、探した先が吉本興業だったんですよ。そこから18年もいました。今は独立して明和電機だけで活動しています。

 

草野 : 土佐さんのお話は、今のアーティストにとってたくさんの重要なヒントがあるなと思います。私は、1990年に生まれて80年代アイドルが子供の頃からすごい好きで、Satellite Youngという音楽ユニットをやっています。音楽活動に至るまでは、高校生の時からフォトグラファーとして活動していたり、大学の時は起業してアプリをつくったりしていました。ただ、スタートアップというサービスを作ることがあまり向いてなくて。でも、食べていかなきゃいけないのと、社会勉強がてら、新卒で広告代理店に入社して2年目になりました。フリーでもなんとかなりそうなので、今年やめました。また、学生の時に子供が生まれて、今一児の母です。

 

冠 : 新卒ということは起業した時は、大学生ということですか。

 

草野 : そうです。大学生の時に一緒に起業した人に聞くと、みんな就職してしまった。私はアーティストを盛り上げるプラットホームをつくろうとしていたんですけど、アーティストが羨ましくなったというか。両親がアーティストだったんですけど、その反面教師で、ビジネスを学びたかったんですけど、向いてなかったです。

 

 

草野 : 私のミュージックビデオを紹介させていただきますが、これはSNSの人格を使い分ける気持ちを歌った『Dividual Heart』という曲です。人工知能の学習手法ディープラーニングで「80年代」というハッシュタグから出て来た画像等を学習させて出て来たイメージを実際に再現しています。また、出会い系アプリのTinderっていうのが世界中で流行っていたんですけど、そのTinderが生まれたことでどうやって恋愛が変わったかっていう新書を読んで、そこからインスパイアされてスティーブ・ジョブスの格好をして歌った曲もあります。モダン・ロマンスです。最近実現したのは、スウェーデンのアニメーターと一緒に、Satellite Youngのアニメをつくったんですけど、これは監視社会と戦うディストピアSFで、原案では私が共同執筆しています。

 

土佐 : 全てテーマがあるよね。コンセプチュアルアートですね。

 

草野 : 情報社会の感じを80年代歌謡で表現したいというところからSatellite Youngは始まっていて、それが歌なのか作品なのかより先にコンセプトがある。最近、アート作品もつくりたいって思って、「Art Hack Day」というアートのハッカソンがあるんですけど、初めて1ヵ月かけて人工生命が宿ったカラオケをつくりました。近づくとカラオケが自動で始まって、歌詞が毎回自動生成される人工知能が入っています。自律性を持った機械の気持ちになって歌詞を書いていて、でも歌は80年代。これは揺るぎないコンセプトですね。

 

 

土佐 : 人生のスピード感が早いですね。

 

ニッチな人とグローバルに繋がりやすい時代

 

草野 : 私、土佐さんがいなかったら、Satellite Youngをやっていないんですよ。7年前に若手起業家をシリコンバレーに送り込むプロジェクトで知り合ったんですが、私はその時、まだ大学生でした。

 

土佐 : 日本の若手起業家10人をシリコンバレーに送り込んでトレーニングをするというプロジェクトになぜか僕がいました(笑)。

 

草野 : 土佐さんがプレゼンテーションされていた時に、「My company is a fake company.」っておっしゃっていて、投資家たちは困惑していました(笑)。ただ、説明がわかりやすくて、プレゼンのノウハウは学びました。その出会いがきっかけで、土佐さんの忘年会に行ったんですよ。明和電機の方にベルメゾン関根さんを紹介していただいたんです。同じ大学の先輩ではあったんですけど面識がなくて、紹介してもらってそこからSatellite Youngが始まりました。

 

土佐 : ちなみにベルメゾン関根さんは何をやっているんですか。

 

草野 : サウンドをつくっています。私は歌っています。もう一人、テレヒデオっていう和製ダフトパンクみたいな存在がいるんですけど、彼は時にビジュアルジョッキーであり、時にガジェットをつくり、時に超キレキレなダンスを踊れたり、踊れなかったりする。そんな3人組。誰も楽器を演奏してないっていう(笑)。

 

土佐 : 歌をつくりたい。でも、鼻歌しか歌えない。その時に「ここにつくれる男がいるぞ」っていう時のコントロールの仕方ってどんな感じですか。

 

草野 : iPhoneに「ふーふーふふー」って鼻歌を入れて、それを「いい曲思いついたんです」ってメールで送る(笑)。関根さんはいろんな音楽をつくってきた方だったんですけど、最初お会いした時に80年代アイドル歌謡が一番熱いって思っていたんですよ。本当にたまたま同じビジョンを持っていたんです。それをアートにするのか、音楽にするのか、映像にするのかを会った日にブレストして、それはSatellite Youngにならなかったんですが、一年後にSatellite Youngを結成しました。本当に今まで、いろんな人とコラボレーションしようっていうのは何回かあったんですけど、うまくいかない時もありました。でも関根さんとは、目指しているものが一緒だった。

 

 

冠 : 同じビジョンを持つ人と繋がるコツみたいなものはありますか。

 

草野 : 趣味が近かったり、目指しているものが近い人と繋がりやすい時代になっていると思います。Satellite Youngはシンセウェーブというジャンルなんですが、日本人でやっている人ってほとんどいないんですよ。今はシンセウェーブって検索しても出るようになったんですが、当時はカタカナで検索しても0件で。Twitterで検索していたら「シンセウェーブやばい」って言っている写真家の方がいて、すぐにダイレクトメールを送ったら、アーティスト写真を撮ってくれました。私は、結構Instagramで検索して話しかけて、何回もプロモーションビデオを撮ってもらったりしています。

 

土佐 : 確かに25年前にそれはありえなかったですね。青い服を着て、変な機械つくりたい人募集みたいなことは(笑)。今は細やかなところも含め海外に繋がりますよね。

 

冠 : 今、明和電機さんには工員がいっぱいいらっしゃると思うんですけど、どういうふうに集めてきたんですか。

 

土佐 : ほとんど口コミというか、「こいつ良いと思うんだけど」みたいな、知り合いの紹介ですね。3年毎にスタッフは入れ替わります。

 

草野 : 明和電機から巣立っていって、アーティストになったりしますよね。

 

土佐 : 明和電機のデビューが1993年なんですけど、食えるようになったのは2000年だったんですよ。さらに飛躍をしたのは、Twitter、Youtubeが出てからですね。明和電機を知っている人たちがTwitter、Youtubeを見てくれて、その人たちが呼んでくれるというのが大きいです。昔はそういうことはなかったです。世界中にマニアックな人たちはいるんですけど、昔はその間をつなぐ方法はなかった。今は、繋がっていくと口伝えに繋がっていきますよね。ニッチを飛んでいけるといいますか。

 

草野 : 私も海外のファンが多くて、コメントも英語とポルトガル語とか様々です。聞いてくれる人も日本より北米の方が多いですね。ただ全体のファンの数を数えるとそんなにたくさんいるわけじゃないんですけど。グローバルでニッチなところに響いていて、そこにコミュニティができていて。日本のアニメとか好きだけど、萌え系じゃなくて、SF系が好きで80年代音楽が好きでといういろんな方がいます。

 

クリエーターとして長く続けていくために大切なこと

 

土佐 : わかりやすいアイコンがある方が強いということですね。キーになるものが明確にわかるものが引っかかりやすい。

 

冠 : それは最初から自分で押し出して行く感じなんですか。それとも周りから言われて気づくものなんでしょうか。

 

 

土佐 : 僕の場合はこの服をいきなり着ましたからね。例えば、先ほど魚を殺す機械って言いましたけど、「僕は魚を殺す機械をつくっています」と押し出してもダメなんですよ(笑)。
アートって核心のところに不可解さとか、得体の知れない情念とかがあって、それをぶつけていくのが本質なんです。自分の中のぐっちょんぐっちょんな部分に向き合う作業があるんですけど、そうやって出てきたものを作戦を立てて出していかなきゃいけない。芸術と芸術家が違うのは、芸術というのは爆発でいいですけど、芸術家は爆発せず、どこで爆発するかを考える。自分の家でぼっかんぼっかん爆発していてもダメで、一番効果的なところで爆発させる、ダイナマイトを仕掛けることが芸術家が考えなくてはいけないことです。

 

草野 : 本当に自分の軸となるコンセプトとか根源みたいなものはしっかり決めていた方が周りの人とコラボレーションした時にそれが生きると思います。私の場合、自分のセルフブランディングやセルフプロデュースという点では、自分でつくったコンセプトがもちろん軸となっているんですけど、メディアに取り上げていただいたり、コラボレーションするミュージックビデオの監督の方やSatellite Youngのアニメを作っている方と一緒につくったりすることによって段々垢抜けていったという感じがあります。テレビに出演した時にいただいたコメントを参考に、もっとサイバーパンクな感じにしようと思い、髪を青くしました。自分の特異性とか、他人と違うところって何なのかっていうのがわからなかったんですけど、こうゆうふうに解釈されているんだというところから、自己紹介がスムーズにできるようになりました。今は80年代アイドル歌謡に乗せてテクノロジーについて歌いたいたいとはっきり言えるようになったっていうのはありますね。

 

土佐 : 人に見られることで表現が強くシンプルになると思います。ビートルズは「LOVE LOVE LOVE」しか言ってないじゃないですか(笑)。めちゃめちゃたくさんの人へのメッセージって、シンプルになるんだと思います。例えば近所の人に言うんだったら、これがこうでこうでと言えますが、何億人になったら、「LOVE LOVE LOVE」ってシンプルになる。

 

冠 : 土佐さんは大きな影響を受けた音楽とか、作品ってあるんですか。

 

土佐 : 当時はクラフトワークとかYMOとか、ニューウェーブの時代だったので、僕の制服も、いわゆる人民服とかの影響を半分は受けています。匿名性とか無機質な感じというか。育った時代が「ザ・ベストテン」なので、演歌とハードロックとテクノが一緒に競い合うみたいなぐちゃぐちゃな時代でした。

 

草野 : 私も「夕やけニャンニャン」とか80年代の番組をずっと見ていました。

 

冠 : 草野さんから見て、土佐さんはどんなふうに映っていますか。

 

 

草野 : もちろん明和電機さんは子供のころ「たけしの誰でもピカソ」を親が見せてくれたので知っていたんですけど、シリコンバレーで「プロダクト&アートピース」ビジネスモデルを知って興味を持ちました。若い世代の人も、おもちゃをつくって土佐さんの真似をしようとしている人がいっぱいいるなと思いますね。日本のアーティストってなかなかビジネスモデルの話とかしないじゃないですか。貧しい方が尊いみたいなところもあったりして。土佐さんは、いろんなムーブメントをつくっていらっしゃっていて。北欧の100円ショップが明和電機さんの魚の骨のケーブルをコピーして量産していた時、土佐さんは全部そこで買い占めてパッケージし直して、サインして売ったんですよ。その一連が現代のウォーホルのようなインスタレーションみたいだった。

 

土佐 : でも、これは現代美術のトレーニングを受けているからできたと思います。レディメイドって言って、デュシャンが便器にサインをして場所を変えることで価値を変えるっていう考えがあるのですが、そのトレーニングはあたり前だったので。店頭に自分の作品があった時に「大ネタきたー!」って思いましたよ。普通はここでやってはいけないと思うんだけど、このタイミングで、これがきたので、やってしまえっていう本能的なものっていうのはありましたね。そのスイッチを入れられる人と、入れられない人がいると思うんですけど、入れられない人にはコスプレをお薦めします(笑)。素の自分っていうのは、常識の塊なので制約をかけてしまうんです。僕は変身世代なんですが、ウルトラマンとか仮面ライダーとかはだいたい変身することでパワーを発揮する。脳の中でもいいんですけど、誰かに自分を置き換えるということです。

 

草野 : 土佐さんは芸術というところにもはまるし、音楽とかエンターテインメントとか、時にコメディも入っていて、それでいて建築っぽいものというか。楽器や機械もつくってジャンルを横断されていて、すごいなと思っています。

 

土佐 : うちの母親にちっちゃい頃、あんた器用貧乏になるかもねって言われて。でも、90年代にマルチメディアって言葉が生まれて「自分のことだ!」って思いました。でも、マルチメディアに一番大切なのは、プラットフォームなんですよ。マルチメディアは何でもできるんだけど、コンピュータがあるから全部合体できる訳です。「僕なんでもできるけど、プラットフォームがない」って思った時に、「明和電機だ」と思った。 制服を着てなくて、音楽やって、魚を殺して、楽器を作っていたら、分裂症の人になります(笑)。

 

草野 : 私も、ミュージックビデオやライブなど様々な表現ができる、Satellite Youngというプラットフォームがあったから飽きずにやってられるのかも!(笑)

 

冠 : 最後に、若手クリエーターの方々に向けてメッセージをいただいてもいいですか。

 

土佐 : 器用貧乏でいろんなことをやってきましたけど、インターネットが出てきたりして、自分がつくったものを発表して売りやすくなってきたんですね。なぜ25年間続けてこられたかというと、本質を考えた時には、不可解なことをやっていたからだと思うんです。アートって売れないとか、人に伝わらないから避けがちで、綺麗なデザイン的なものをつくりがちですけど、他にもそういうのはあるから、長い目で見るとそれはすごく良くなくて。本質的にぐちゃっとしている不可解なものを探求した方が、長続きするっていうのは実感としてあります。そこを大事にして欲しいです。

 

草野 : 私も似ているんですけど、自分にしかない価値観みたいなものをアートにしていけたらいいと思います。私だったら80年代の中でテクノロジーを表現したいとか、何かきっとあなた自身にしかない視点みたいなのがあるので、それを早く見つけて完璧じゃなくても作品を発信していくべきだと思います。自分が今つくっている中で全然満足できていないものもあるんですけど、それをつくったことによって、次もまた同じコンセプトでつくっていける。私はこれからもSatellite Youngとしてでも、自分でつくるとしても、多分ずっと同じコンセプトでやってくるだろうなと思うので、そういうのを見つけられるといいんじゃないかと思います。

 

 

トーク会場撮影 : 市川勝弘