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SPECIAL INTERVIEW

vol.20 SICF受賞者特別対談 
東城信之介 ✕ 藪前知子

【※この対談は、2018年3月27日発行のスパイラルペーパーno.146に掲載されたものです。】

 

フラットな社会が生む「バグ」としてのアート


0.3mmほどの厚みの鋼や銅といった多種多様な金属板を酸化させ、その表面に細かい傷をつけることによって、レンチキュラーやホログラムとも異なる不思議なイリュージョン空間を生み出す作品を発表し、2017年開催の「SICF18(第18回スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル)」でグランプリを受賞したアーティストの東城信之介。そしてSICF18の審査員の一人であり、多彩な企画を通してコンテンポラリーアートの現在地と、アートと社会の結節点を示してきた東京都現代美術館学芸員の藪前知子。ともにコンテンポラリーアートを通して私たちが生きる世界を見つめる二人に、作品制作の背景や現代社会におけるアーティストのあり方についてのお話を聞きました。

 

 

 

東城信之介(とうじょうしんのすけ)

1978年長野生まれ。2004年東京造形大学美術学科比較造形卒業後、2005年同大学研究生修了。酸化させた金属の表面に細かい傷をつけることで、幼少期より無意識に見てきた虚像や心象風景を作品にしてきた。これまで「第三回山本鼎版画展」佳賞や2012年の「Young Artist Japan」でグランプリを受賞し、世界各地のアートフェア参加に加え、「中之条ビエンナーレ」設立メンバーとしても活動。独自のイリュージョン空間と絵画と彫刻の境界を想起させる『rakubomu』が「SICF18」でグランプリを受賞した。

https://www.tojoshinnosuke.com

 

藪前知子(やぶまえともこ)

1974年東京都生まれ。東京都現代美術館学芸員。主な担当企画に「大竹伸朗 全景 1955-2006」(2006)、「MOTコレクション 特集展示 岡﨑乾二郎」(2009)、「山口小夜子 未来を着る人」(2015)、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」(2015)、「MOTサテライト2017春 往来往来」(2016)(以上、東京都現代美術館)など。「札幌国際芸術祭2017」では企画チームに参加。キュレーションに加え、雑誌、ウェブに日本の近現代美術についての寄稿を多数行う。

http://www.mot-art-museum.jp


インタビュー

 

—東城さんは、SICF18でグランプリを受賞する前にも、2度SICFに応募したことがあるそうですね。

 

東城:はい、2012年のSICF13では一次審査を通過し出展しましたが、SICF15では一次審査にも通らなくて。それから応募をやめていたんですが、藪前さんが審査員の一人だと知り再挑戦しました。藪前さんに見てもらいたくて展示空間をつくったんです。

 

—藪前さんが審査員にいたことが応募の大きな動機だったんですね。

 

東城:そうなんです。以前、藪前さんが自分のアトリエに来てくれた時に、「白い空間で展示をしたらもっと面白そう。新作ができたら見せてね」と言ってくれて、そこからずっと見せたいなと思っていました。それが理由で応募しました。

 

藪前:ありがとうございます(笑)。審査のとき、東城さんが「お待ちしていました」と言ってくれたのを覚えています。

 

—藪前さんはSICFの展示作品を見て、どう思われましたか?

 

藪前:モノから技術が切り離されているというか、これがどうやって生まれて、何の物体なのかすぐには説明がつかない。自分が持っている鑑賞のコードが使えない点で、非常に興味を持ちました。

 

—出展作はどのようなものだったのでしょうか?

 

東城:鋼板を酸化させ、表面に細かい傷をつけることで、自分が無意識に見てしまう像や心象風景を描いた作品です。

 

藪前:その「無意識に見てしまう像」というのは、どういうものなんだろう。音と連動したりして見えるんですか?

 

東城:日常で突然、半透明の有機物のような像がぼんやりと空中に見えることがあるんです。周りの人に聞いても「見えない」と言われるし目の病気でもなさそうなので、自分しか見えないと知った時は少し怖かった。そんな不確定な存在を、作品にして自分の手で再構築することで確信し、自分を保ってきた部分もある気がしますね。

 

 

 

SICF18グランプリアーティスト展
「Cover up the ここ」(2018)

 

 

コンテンポラリーアートの垣根を超えて

 

藪前:私は、東城さんがSICFに応募した最初の動機が気になっています。SICFは正統なコンテンポラリーアートというよりも、いわばその周辺領域に興味のある人たちが、どこにもあてはまらない自分と、その衝動を見せてきた場のような気がして。東城さんの周囲の作家さんもあまり応募していませんよね。

 

東城:今のコンテンポラリーアートの世界って、「知り合いの知り合いは知り合いだった」みたいな狭さがあると思うんですね。でもSICFでは、もっと広いジャンルでの新しいつながりができるような気がして、作家活動を通して行き詰まりを感じたときに、SICFの存在を思い出しました。

 

—実際にSICFグランプリ受賞後作品を展示して、変化を感じることはありましたか?

 

東城:美術業界に加え、建築家、デザイナーなど異分野の方が興味を示してくれました。例えば、スパイラルでの個展「Cover up the ここ」でも、展示を見たデザイン関係の人から「コラボレーションしましょう」と持ちかけられたり、新たなつながりを感じることがすごく多かったです。青山という立地も関係しているのかもしれないですね。

 

—ギャラリーで展示を行うときにはあまりない反応なんですね

 

東城:はい。貸ギャラリーで展示をしても、まずそういうことはなかったんです。「どんな媒体や職種の人が自分の作品を求めているんだろう?」と思っていたので、SICFではそれが明確になるメリットがあると感じます。

 

藪前:それで思ったのは、東城さんの作品は、これが生まれるのにどの文脈が背景にあるのか全然わからないところが面白いですよね。絵画なのか彫刻なのか、映像なのか。様々なジャンルが集まるSICFは、発表の場として向いているような気がします。

 

東城:たしかに、友達のアーティストにも「これは絵画? それとも彫刻なの?」って聞かれることが多いです(笑)。特にジャンルは意識していないんです。

 

藪前:「Cover up the ここ」を拝見して、東城さんの作品がいわゆるコンテンポラリーアートの領域とは違う見え方をするという発見があったので、東城さんが制作を続けていく上でも応募したのは正解だったかもしれないですね。コンテンポラリーアートのコミュニティにいる人たちにも積極的にSICFに参加してもらって、混ざり合うとSICFの賞の意味もより強くなる。SICF自体が新しい一つのジャンルというか、ムーブメントを生み出せるといいですよね。

 

東城:実際に、自分の仲間も今回の個展を見て「SICFに応募してみたい」と言っていました。とはいえ自分もコンテンポラリーアートは評価されにくいというイメージがあったので、今回の受賞は驚きましたし、うれしかったですね。

 

 

 

『rakubomu』(2017) 鋼板・錆 1,800×900 mm 品
「SICF18」グランプリ受賞作

 

 

今の日本、これからの東京に向けた思い

 

藪前:SICFに出展する前はどういった活動をしていたんですか?

 

東城:大学時代は銅版画をやっていました。授業で銅版画を刷ったとき、その線を見て「この線はなんだ?」ってすごく興奮して。同時に、その頃からずっと錆を作品に取り入れてきました。

 

—東城さんの錆へのこだわりは何に由来しているのでしょうか?

 

東城:大学の喫煙所の前にめちゃくちゃ錆びたロッカーがあって毎日通っていたのですが、ある日突然、それが新品のロッカーに変わってしまった。するととてつもなく、喫煙所を居心地悪く感じてしまって。「なんでだろう?」と思ったら、あのロッカーだったんです。ロッカーの錆や時間経過といった情報に自分が反応していたことに気づいて、そこから紙ではなく、金属にシフトしました。

 

藪前:それは錆が好きだから? それとも世の中に向けて錆というか、自分が経過した痕跡を残したいというような、自分の存在意義に関わるものなのでしょうか。

 

東城:フェティシズムと、錆の素材によって自分の気持ちが安定する、両面があると思いますね。

 

—これまで制作してきた錆の作品から一転、「Cover up the ここ」で発表した『kabe(Greece)』ではグラフィティが印象的です。?

 

東城:以前から、工業製品や車などをモチーフに、誰かが触れた痕跡に自分の存在を付与する、タギングというシリーズ作品を制作しているんですが、2017年にギリシャに旅行で訪れた際、経済破綻したアテネの街からめちゃくちゃパワーを感じて、そこで見たグラフィティを「どうしても作品に取り入れたい」と思ったのがきっかけです。あと、長野出身の自分は、1998年のオリンピック後に莫大な借金とともに壊れてしまった街を覚えていて、アテネも同じような状況になっている。『kabe(Greece)』は、「今の日本やこれからの東京は大丈夫なのか?」という思いを投影した作品でもあります。

 

—金属板の表面を削って、ある種の視覚表現自体を出す行為もタギングなのでしょうか?

 

東城:金属板を酸化させたり、削ったりした作品は、無意識に見えてしまう像を具現化したもので、なぞり生み出すという感覚でつくっています。一方、タギングの方は、ある物や人が手にしたもの対して、「自分」とつけて占有する感覚で、マーキングするように表現をのせ、痕跡をそのまま作品にしています。

 

 

 

『shakasou』(2015)
「中之条ビエンナーレ 2015」出展作品

 

 

—今後制作予定の作品でも引き続きタギングは現れますか?

 

東城:最新作は、自分が幼少期に作った人形をモチーフに彫刻と絵画を作っていて、その行為自体がタギングだと思っています。

 

藪前:過去の文化を引用しながらそこにタギングすることで「現在」のありかを確認するというのは、コンテンポラリーアートの一つの手法ではありますよね。でも、東城さんのタギングは、それだけではないような気がします。個人的な感覚の追求のようでいながら、もっと触媒的というか、社会の変化を敏感に感じ取って、それに対する抵抗という印象を受けますね。錆に対する感覚にはっきり表れていますが、フラットになっていく社会に対する抵抗というか。小さい頃からそういう感覚があったというのは、東城さん自身が、社会のバグみたいな存在なのかもしれませんし、アーティストは多かれ少なかれそういうところがありますよね。ただ今日、ギリシャ、長野、東京の都市の変化に対する考えを伺って、それが、感覚的なところから出ているだけではなくて東城さんの中で、社会の中での使命として、ご自身の中ではっきりとした自覚があるというのもよくわかりました。これからオリンピックがあり、その先へと東京もどんどん変わっていきますが、東城さんが何に反応して何を作っていくのか、とても楽しみです。

 

東城:たしかに、個人的な感覚から入っていって、何らかの問題にぶつかり、そこから使命感のようなものが生まれているのかもしれません。自分自身もこれから何に反応していくのか予測不能ですが、時代や自身の変化とともに生まれてくる新作を、これからもぜひ見てください。

 

 

『091』(2016) 真鍮板・錆 1,700×800 mm

 

 

 

インタビュー・文 堀添千明