「こうあらねばならない」という価値観が緩やかになった現代
Sugata:私、昔から職人気質なんですね。実際に職人だったこともあり、実はアーティストとして「これがわたしです!」と作品を出すことに恥ずかしさがある。
今回グランプリとして引き上げていただいて、その恥ずかしさを越えることが必要だと思って展示にチャレンジしたんです。でも、「職人」と「アーティスト」どちらも確実に持っている私の要素なので、あっちに行ったりこっちに行ったり、「突き詰めたい」という職人気質な時と、「こうしたい」というアーティストな時と、両刀使いのような感じで制作していましたね。
石関:良いですね。
ある種、自分の中に二人いるわけじゃないですか。ひとりで二人組という感じ。最近ファッションでも、デザイナーがグループだったり、わざと匿名性を出すために役割を分担させたりするブランドもあります。世の中的にそういう動きになっているのかもしれませんね。
昔は、ある種の「ひとつの個性」があって、それがアーティストやデザイナーだったわけですね。「ひとり一人格」という前提だったと思うんですけど、今は、表に出す人格と、うちに秘めている人格とどちらもある。それを自分でもわかっているし、周りの人もそうだよねという世の中じゃないですか。
「ひとつの個性」としてのアーティスト・デザイナーって、ある部分で旧時代的な考えなのかもしれませんね。「アーティストは突き破らなければならない」とか、「デザイナーは毎シーズン違うものを出さねばならない」とか、「こうあらねばならない」みたいなものが今は緩やかになっている。
Sugata:スター性がないといけない、とかですね(笑)。
できないところを補い合っていこうと、認め合うようになっているのかもしれませんね。
石関:ブランド自体もデザイナーがどんどん変わっていく。だからブランドのアイデンティティなのか、デザイナーのアイデンティティなのかわからないんですよね。同じデザイナーが全く別のブランドで、似たようなテイストでやっていたり。デザイナーってなんなんだろう、ブランドってなんなんだろう、と思わせることがファッションでは結構起こっていて。今を肯定的に捉えると、昔のデザイナーのイメージ、ブランドのイメージが時代に合っていないんだろうなと思いますね。

全ての生物の中で築かれている「補い合う」という関係性
石関:時代によって見方が変わってきていて。
昔は、人は自立していて、自立した者同士が合わさり、関係性をつくるという考えだったんです。今は自立しているというより「補い合う」。他の生物の世界も見ていくと、やっぱり補い合っていることはあるよね、と。
他にも、昔は人体では、「脳」が指令を出していて一番えらいというイメージだったんです。だけれども、先日NHKのとある番組を見ていたら「そうじゃないぞ」と。細胞同士が連携しあっているそうなんです。脳が手を動かしているのではなく、手も脳を動かし、足も動かしている。そういった関係性なんだと知りました。
どんどん世の中の現実の切り取り方が変わってきているんですよね。
Sugata:昔からそうだったのに、それに気づかなかったというか。本当のことが露わになってきているんだと思いますね。
「スター性がある人じゃないとうまくいかない」と思っていたことも、でも本当はそうじゃなかった。みんなが補っていたからこそ、成り立っていたということに気づき始めて、その事実を受け入れて、「誰もが助け合えればどこまでもいける」「雑草でも生きていける」というような、安心できる事実にどんどん導かれているような気がしています。
石関:つくっているプロセスが「生命そのもの」だったんですね。
Sugata:まさに体感で学びました。
(スパイラル加藤)
SICF25でグランプリに選ばれたときも、Monaさんはエネルギーがとにかくすごいと審査員の皆さんおっしゃっていました。
ブースで展示されていた作品は大きなサイズではなかったので、160平米の空間で新作を展開できるだろうかという不安もあったのですが、皆さん「絶対できる」と確信めいておっしゃっていて。本当にその通り、芽を生やし、枝を広げ、成し遂げたな、と!
石関:素晴らしい。まさに「木」のエネルギーですね!